これまでの表紙

花過ぎて


 我が家の小さな庭にも春は来て、いっせいに花が咲き始めました。三月が寒かったので、早春の花も晩春の花も入り乱れてのバサラ的賑わい。樹上には辛夷と枝垂桜に土佐水木までが?を競い、地上では片栗や春蘭のなかに山芍薬が莟をつけています。なんてものすごい季節! 私は、常日頃、お釈迦様のおっしゃるとおり、この世は苦だと思っています。しかし、こんなふうにあまりにも美しい瞬間が時折訪れてしまうので、、あさましくまた次の花が見たくなってしまうのです。


 さて、写真は、残花の宴と銘打って、左がわ奥の染付葉櫻手付け鉢にお豆腐と生麩の焼いたの、木の芽ではなくて雑草味噌添え。その向こうに片栗の葉の上に鰤の塩焼き。右側の片身変わりの角小鉢にアサリと小葱のからし酢味噌和え。中央の色絵葉桜くみ出し茶碗に春蘭と白舞茸。庭の春蘭を摘んで、さっと湯がいただけですが、美味しいと言えばおいしい。


 春蘭は香りがあるといっても、ごく淡く、さながら香りの思いでといったところです。辛夷の莟を箸置きにしたので、むしろそっちの香りの方が勝ってしまいました。でも辛夷も透明感のある良い香りです。染付け飯碗の中は御粥に桜の花の塩漬けが仄かにピンク色。春霞の中の樺桜の風情…ってこれは夕霧が垣間見た紫の上のあでやかさの表現ですが、よっぽど美しかったのでしょうね。ご飯茶碗は古典的な図柄「三友」です。松竹梅の三友に蘭を加えると四君子ですね。 

 テーブルの上に庭の花々を折り散らして、落花狼藉の昼御飯。咲き初めた花のさまざまを無残に蕩尽するのも、厭世主義者の密かなヨロコビです。


 三月は金沢の個展で、いろんな方に出会えて楽しかった上に、句会も出来ました。ありがとうございましたこの場を借りてお礼申し上げます。今月は月末から相模原伊勢丹で、母の日と初夏の器展に新しいマグ・カップでも出そうと思っています。季節は次々と移り変わり、うつわ展もつづく。なんだか流されているような気もします。季節の面影がそこに佇むような、風情のある器を作りたいのだけれど。

雑用に追われてばかりで今年も北上する桜前線を追ってゆく時間はなさそうですね。いつの日か、花を追い月をながめて風流三昧に暮らしたいな。山里に住んでいるから、都会にいるよりは季節の移ろいは眺められるのでしょう。山住みは不便もありますが、この季節と山菜の時節は楽しい。勿論そこには、 蛇、トカゲ、蟲もいっぱいいて、皆、悠久の自然の一員としての役割をはたしているわけですからね。冬物をしまおうとした押入れからカメムシがでてきても、文句は言えません。 

 いくら山派でも、時々は海を見たくなります。日本海の夕日はまた良いものです。


桜貝瞼に乗せて少し死ぬ   おるか


                           2014年4月7日