緑の香り


 


 今年の八十八夜は五月二日。八十八夜摘みの新茶は、加賀では、十日ごろから店頭に並ぶそうです。新茶の香りは良いものですね。煎茶の席でも今頃は、「新茶と古茶の手前」など、両方のお茶の味を聞き比べて楽しんだりする時節です。そして、山道の散歩が楽しい時節でもあります。まだ蚋とかいやな虫もそんなに多くないですしね。山の水を汲みに出ると、卯の花の香りでしょうか爽やかな甘い香りがします。麗しの五月、ゲーテならずとも「時よ、止まれ!」といいたくなります。



 剪定した楓の緑があまりきれいだったので、しばらく眺めていましたが、持ち上げたら楓の花がばらばらと散って大変なことに。風流とはお掃除が大変なものとみつけたり!楓の花はちらっと紅色で小さくてきれいですけどね。その後の小さなプロペラみたいな実もかわいい。好きなんだけど「やはり野におけ」でした。



 さて、今回はお茶の愉しみあれこれ。というわけで、急須にお湯のみ。赤絵菓子鉢に粽です。笹の香りを楽しむにつきるデリケートなたべものですよね、粽って。



 そして御飯茶碗に、お茶漬けいろいろ。御飯茶碗は何種類も作っていますが、あまりここに載せたことがないような気がしたので三種えらんでみました。


 手前の染付け原っぱ模様のお碗には、海苔佃煮にわさびの茎を蒸したもの。山葵は川のそばにたくさん生えているので、食べる分だけ取ってきては食卓にのせます。山葵の茎や花、葉を軽く蒸らすとかおりが立って美味しいんですよ。市販の佃煮は、私には味が少しどぎつく感じられるのですが、ちょっとアレンジするには便利ですね。左側、唐子遊びの碗には金澤の小魚の佃煮に、近くの海岸で採取した若布の干したのをパラパラ添えて、磯の香り茶漬け。そして奥の赤絵唐草飯碗は、これぞ究極のお茶漬け!?お茶の葉のお茶漬けです!宇治市の無形文化財、吉田茶園の玉露真粉に炒りゴマなどをちょっと足して宇治の煎茶をかけました。



 この吉田茶園は栂ノ尾高山寺に今も残る日本最古の茶園を栽培管理していると、説明書にありました。栄西禅師が日本に齎してくださって、栂ノ尾の上人明恵様が栽培してくださったお茶の歴史を、ありがたくいただきました。



 お茶がなかったら日本の文化は随分違ったものになっていたことでしょうね。信長秀吉はじめ戦国武将が一国一城にも変えて憧憬した名物茶道具の数々も無い事になります。禅の世界から幽玄の美という概念は、絵画や作庭などに表現などされえたでしょうけれど、茶席という総合的な発露の場があればこそ、日本人の世界観にここまで深い影響を与え続けてきたのでしょうね。器への愛もそういうなかで、培われたのでしょう。お茶の徳はいだいですね。あだやおろそかにできません。


 一碗の新茶を汲んで、まだいとけない芽生えたばかりの緑の香りを楽しむ。植物にはちょっとむごいことかもしれませんが。その生命の儚さをいつくしむ気持ちが、新茶をめでる心の底にあるのかもしれませんね。



 日ごとに変化する山々の緑は、ふりみふらずみの北陸の空の下、一瞬の光に輝いて見えます。キラキラと明るい日照雨の中の山並みは、一入美しい。




   どの幹も傷ある雨の新樹かな   おるか  


 


2015年5月4日